現在の朝倉未来さんは立派な格闘家として活躍していますが、10代の頃は地元の豊橋で暴走族をしており、一時期は少年院に入っていたこともあります。
今回は、そんな朝倉未来さんの出身高校や、少年院に入った理由などを紹介します。
朝倉未来の出身高校は?地元は豊橋
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朝倉未来さんは愛知県豊橋市出身です。子供の頃から「強くなりたい」という気持ちを持っていた朝倉未来さんは、7歳から相撲や極真空手を習い、体を鍛えていました。
当時から負けず嫌いだったらしく、厳しいトレーニングに耐え、極真空手の全国大会で準優勝するほどの実力があったといいます。
小学校でのマラソン大会では常に優勝するなど、身体能力の高さが際立っていたようです。幼い頃にはすでに格闘家としての基盤ができていたみたいですね。
そんな朝倉未来さんは小学校卒業後、地元の豊橋市立高豊中学校に進学しています。
この頃からヤンキー気質が出ていた朝倉未来さんは、仲が良かった先輩とも喧嘩に発展することが多かったようです。
もともと先輩とはタメ口で話していたとのことですが、中学校に上がってからは敬語を使うことを要求されたのだそう。
朝倉未来さんはそれが気に食わなかったため、先輩と衝突してしまったみたいですね。
しかし、幼い頃から極真空手や相撲を習っていた朝倉未来さんは、先輩との1対10というかなり不利な喧嘩にも勝っていたのだそうです。
朝倉未来さんの強気な態度に先輩もひるんでしまったのだとか。あの気迫で迫られたら引いちゃいますよね。
そうしたやんちゃな中学時代を過ごした後、朝倉未来さんは高校に進学しています。朝倉未来さんが進学した高校は愛知県立三谷水産高校です。
愛知県立三谷水産高校は、愛知県蒲郡市三谷町水神町通にある県立高校で、愛知県で唯一の水産高校です。
水産に関する様々なコースがあり、2016年には文部科学省スーパープロフェッショナルハイスクールというものにも指定されています。
朝倉未来さんはもともと高校へ行くつもりはなかったようですが、直前に勉強を頑張って愛知県立三谷水産高校に受かったそうです。
とはいえ、高校に入ったからといってやんちゃをすることがなくなるわけでもなく、やはり日々喧嘩に明け暮れていたのだそう。
強そうな人を見つけたら自分からガンを飛ばし、喧嘩になって相手を負かしたらさらに強い人を教えてもらう…。その繰り返しでどんどん強い人を倒していったのだといいます。
その結果、豊橋内では朝倉未来さん以上の強い人がいなくなったという話もありますね。
そして、暴走族に目を付けられ、50対2という無謀な状況で喧嘩をすることにもなったそうです。
これほど圧倒的不利な状況では、いくら朝倉未来さんが強いといっても勝ち目はなく…。
相手が鉄パイプを使っていたこともあり、朝倉未来さんの左目は失明寸前の大怪我を負い、意識も遠のいていたといいます。
結局、誰かが呼んだ警察が来て、暴走族は逃げていったそうですが、パトカーが7台も来るような大騒ぎになっていたみたいですね。
50対2なんて喧嘩でもなんでもなく、単なる集団リンチですよね…。それでも朝倉未来さんは漫画のような状況にワクワクしていたというから驚きです。
こうした傷害事件がきっかけで、勉強して入った高校はすぐに退学処分となってしまったとのこと。
高校を退学した後の朝倉未来さんは暴走族に入り、副総長として引き続き喧嘩に明け暮れていたそうです…。
朝倉未来はなぜ少年院に入った?
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暴走族に入ってブイブイ言わせていた朝倉未来さんは、16歳の時に少年院に入ることになってしまいます。
喧嘩ばかりをしていたので、傷害事件が原因かと思いきや、逮捕された原因は無免許でバイクを乗り回していたからだそうです。
暴走行為もそうですし、無免許も犯罪ですから、逮捕されるのも当然ですね。朝倉未来さんは少年院には16歳から18歳まで1年4ヶ月の期間入っていたそうです。
これまでは自由奔放に生活をしていた朝倉未来さんですが、少年院では生活のルールが決められていました。
朝は7時に起きて、夜は21時に就寝。私語も笑うことさえも禁止で、ルールを破れば2週間単独室に入れられて、毎日座禅をさせられるという罰が待っていたそうです。
こうした経験さえも「武勇伝」のように考えていたという朝倉未来さんですが、家族や友人の存在で考え方が変わったといいます。
少年院に入っている間、両親は時間をかけて面会に来てくれたり、毎月手紙を送ってきてくれたのだそう。
お母さんは朝倉未来さんがグレてしまったことを自分のせいだと思って泣いていたりもしたそうです。
また、朝倉未来さんの弟である朝倉海さんは、朝倉未来さんがいない間、朝倉未来さん関連の人たちに喧嘩を売られていて、大変な思いをしていた模様。
自分の行った行為で周囲の人間に心配や迷惑をかけてしまっていることを知った朝倉未来さんは、自分の生き方を見つめなおすことにしたそうです。
そして、少年院を出た後の朝倉未来さんは、今までのように路上でただただ喧嘩をするのではなく、リングに上がってルールの中で戦うことを決意。
セミプロからアマチュアまでの選手を育成するための総合格闘技大会「THE OUTSIDER」に参戦することになります。
「THE OUTSIDER」に参戦することを勧めてくれたのは、中学の先輩でずっと仲が良かった岡さんという方でした。
近くで朝倉未来さんを見てきた岡さんは、朝倉未来さんの格闘家としての可能性を見出していたのでしょうね。
「THE OUTSIDER」に参戦することを決めた朝倉未来さんは、地元の豊橋にある「禅道会豊橋道場」に入門します。
ストリートファイトでは散々勝ちまくっていた朝倉未来さんですが、日々しっかりとしたトレーニングをしている格闘家には勝つことができなかったようです。
これで気持ちに火がついた朝倉未来さんは、それから道場で厳しいトレーニングをこなすようになりました。
格闘家としてのデビュー戦では、リング上で今まで味わったことのない達成感を味わうことができたのだそう。
こうして格闘技の道を歩みだした朝倉未来さんは、どんどんと実力をつけていき、今のような地位を確立させたのです。
結果として、少年院に入ったことが、朝倉未来さんの人生にプラスになったのかもしれませんね。
まとめ
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今では格闘家として喝采を浴びている朝倉未来さんですが、10代は少年院に入ったりと、かなりやんちゃをしていたようです。
しかし、少年院での生活があったからこそ、格闘技の道に進むことができた模様。人生、何がきっかけでいい方に転ぶかわからないもんですね!